永代供養墓クシナガラは、まだ墓所のない方や、後々墓地の継承が難しい方々に安心していただくため、ご家族様、ご遺族様に代わって墓守(供養・管理)させていただくために建墓いたしました。

お参りは自由にできますが、お参りする人がいなくてもご心配ありません。

この永代供養墓は、お釈迦様がお亡くなりになった沙羅双樹に囲まれた聖地をイメージし、「クシナガラ」といたします。

インド クシナガラの、四方に二本ずつの沙羅樹に囲まれた場所をお釈迦様が涅槃の地にお選びになられました。それは沙羅樹にて仏の自在神力をお示しになされるためでした。すなわち八本の沙羅樹のうち、四本はご説法が終わるとたちまちに枯れ、他の四本は青々と栄えた。これを四枯四栄(しこしえい)といいます。
 
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

お釈迦様は、「諸行は無常なり」と教えられています。
「今、一瞬一瞬が変わり続けているのですよ
一瞬たりとも同じ状態を留めることは出来ないのですよ」

この墓園の中央に横たわる石は吹雪石(ふぶきいし)と言い、福島県船引町産の青色形御影石です。
クシナガラの地でよこになられているお釈迦様をイメージしています。
真ん中の梵字は「アク」と読みます。点々(涅槃点)が付かないと阿(あ)と読み、真言宗の根本の仏様、大日如来を表します。そこに涅槃点を付けることでまさに「涅槃」を表しています。

「生者必滅」「会者定離」

この世に生を受けた者は、必ず滅する。この世で出会った者には、必ず別れる時がくる。全ては変わりゆくのが、人の世の定めであるという、この道理を私たちは充分承知をしているはずです。

この世に生まれ、生き、そして滅していく。誰もが辿る道です。終焉を迎え、人生を生きた証として、故人の御霊を弔う場所が墓所です。

ご縁があってこの場所に弔われた方々は、それぞれの人生を懸命に生きられ、私どもの先人としてご努力をなされました。人は多くの事柄によって生かされている。何れの繋がりかで私たちは結ばれているのです。そんな思いを懐いて、こちらでもおまいり下さい。
 
世尊の色身(肉体)は涅槃に入りたまえども(四枯)、説かれし仏法は高背に残り栄える(四栄)。

この教えにあやかり、親しい方がお亡くなりになる(四枯)、その方が生前にして下さった事や日々の教えはこれからも残っていく(四栄)なのだと思います。ですから、お釈迦様をお慕いするように、故人に対しても感謝をしていかねばならないのです。
涅槃図にあるように、お釈迦様を慕って多くの縁者の相寄られたように、この墓所で安らかに眠られる場所となりますように・・・
同一性故入阿字

当寺のお墓の墓石の多くに、「同一性故入阿字」と刻まれているのを目にすると思います。これは
「智山勤行法則」の回向の最後に書かれているもので、それは「誰でも同じ本性を持っているのだから必ず皆、大日如来と一体となり、宇宙に溶け込めますように。」と言われています。
つまり、生きとし生けるものすべてが同じ性(さが)を持っている。それは生まれるもの全ては必ず滅するのです。そして必ず、阿字に入る。それは宇宙全体を表す「大日如来」と一体となること。宇宙に溶け込めますように。と書かれています。
阿字の子が
阿字のふるさとたちいでて
またたちかえる
阿字のふるさと
まさに、この歌にその事が示されているのです。

こんなお声をいただきました・・・

〇私どもは元々観音寺様に、家代々の墓地が何ヵ所かございましたが、永代供養墓「クシナガラ」の建立を知りましたので、我が家もみな一緒になってこちらでお世話になりたいと考えました。代々亡くなられたご先祖様方にとりましてもきっと安心していただけると思います。
永代供養墓「クシナガラ」にお世話になることで、自分たちが亡くなった後のことについても、「お墓のことはどうすればいいだろう」という心配を、子どもや孫たちにはかけないで済みます。お参りも自由にでき、いつでも見守ってくださる方がいらっしゃることに感謝申し上げます。

〇私たち夫婦は長年、菩提寺もなく過ごしてきましたので、探しておりましたところ、クシナガラのことを知り夫婦して見に参りました。そのとき主人と、「亡くなったらここに埋葬していただきたいね」と話しながら、お釈迦様に見守られているような、穏やかな安らぎを感じました。
その後まもなく主人が他界してしまいました。私は生前主人と話していたとおり、こちらに伺い葬儀から供養までおまかせし、クシナガラに埋葬させていただきました。主人も喜んでいると思います。もし私が亡くなりましたときには、ここで主人と一緒にお世話になりたく、子どもたちにもそう話しました。亡くなってこの世を去って逝くほうも、残った子孫たちも、どちらも心配なく安心しておまかせできると思っております。